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水戸黄門と納豆 黄門様が食べた納豆とは?

 

最終更新日 平成14年5月10日

茨城県水戸市といえば、納豆の本場、また以上に有名なのが、水戸

のご老公様「水戸黄門」です。

TBS『水戸黄門』では、20:21付近には由美かおるさんの行水

シーンを覗くエロ悪人が水鉄砲で「うぎゃっ」とやられ、20:33付近で、

「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい!」

という黄門様の一言のもと始まるチャンバラ、20:39付近で

はどんな『基準』で判断したのか分かりませんが、

 「助さん、格さん、もーいいでしょう」

の合図ののち、

 「ええい、ひかえおろう」

と見せつけられる印籠。

そして問題解決し、最後には、

 「ねー、助さーん、格さーん、
            待って下さいよぉ〜」

と、置いていかれそうになる、「うっかり八兵衛」。

まさに様式美の世界でございます。

ちなみに、黄門様ご一行を実際の人物にあてはめた年齢は、黄門

様をテレビ通りにおじいさんとして、

 水戸光圀黄門     65歳

 佐々(さっさ)介三郎 53歳

 安積(あさか)覚兵衛 37歳

となります。介さんが意外に御年を召していますので、テレビのよう

な『懲らしめ』は難しいと思います。

その黄門様ですが、日本で初めてラーメンを食べたということ

をはじめ色々と、食に興味のあった方であったことでも知られます。

*こちらがご参考になります。

小菅桂子著『水戸黄門の食卓 元禄の食事情』中公新書

絶版となっておりますので、古本屋でお求めになるか、中公新書

電子図書でご覧頂ければと思います。

水戸が納豆で有名になり始めたのは、明治時代にお土産として売り

出してからのことですので、黄門様と納豆を結びつけるのは、いささか

強引ですが、歴史的、食文化的に興味のわくところですので、調査

してみることにしました。

まずは先学にお導き頂くということで、水戸史学会理事・事務局長

で『黄門様の知恵袋』の著者でもある但野正弘氏(ご専門は、

佐々介三郎の研究)の説をまとめますとこうなります。

黄門様の若いときの食の記録はありませんので、西山荘の近くの

九昌寺にいた日乗上人の著書『日乗上人日記』を元に考察すると、

黄門様と納豆の関係の記述は、以下の四箇所。

 ・元禄四年 64歳(隠居した年)10月23日巳の刻(午前11時)

  「大根の羹、御酢合え色々、油揚げの麩、御汁、納豆なり」

 

 ・元禄十年、70歳、10月14日 太田寺(はっきりしていない)

  「納豆汁、独活和え物、合え混ぜ油揚げ」

   (料理そのものは西山荘で作って届けた)

 

 ・元禄十一年、71歳、2月23日、潮来市の長勝寺

   21日から23日まで那珂湊におり、タバコと納豆を持って

   きてもらった。この納豆は、丹波笹山の黒豆を使ったもの。

 

 ・元禄十二年 72歳(亡くなる1年前) 2月5日 常福寺納豆一箱

ここまでですと、先ほどの小菅桂子著『水戸黄門の食卓 元禄の食事情』

中公新書と同じで、黒豆があるものの、納豆汁があることから、黄門様

は「糸引き納豆」を食べていたのではないか、ということになります。

ここで但野氏は、『日乗上人日記』の現代訳のミスに気づきます。

現在、『日乗上人日記』の文献と最も利用されているのが、稲垣国三郎

訳『日乗上人日記』同刊行会(昭和29年刊)ですが、そのなかで

元禄十二年の『常福寺』を茨城県内である那珂郡瓜連の『常福寺』と

訳してありますが、但野氏は

「これは京都『常福寺』の訳の間違いではないか」

と指摘し、京都の恵照山浄福寺(京都市上京区笹屋町浄福寺通笹屋町

下る西)から黄門様に納豆が献上され、黒豆があるように黄門様は

「塩辛納豆」を食べていたのではないか、と主張されています。

確かに、『本朝食鑑』には、唐納豆という塩辛納豆の記述があり、

「京師の浄福寺」が紹介されています。「京師」は、「京」は「大きい」

という意味で、「師」は「衆」の意味。すなわち皇居や行政府のある

都市、人が多く集まる場所で当時では京都の事です。

また、『けふき草』等の文献でも、「聚楽浄福寺」、「山城浄福寺」

の文字があり、「聚楽」は都という意味ですから京都、「山城」は

畿内の一国の名前ですから現在の京都です。

京都のお寺ということからだけでなく、京都から水戸までの道のり

を考えますと、「糸引き納豆」ではなく「塩辛納豆」であった可能性

はかなり大きいと思っています。

ただし、実際に但野氏は恵照山浄福寺での調査はされていないという

ことでした。

そこで、京都にお住いで観光のメールマガジンをだされております、

会員のわらべっちさんにご協力頂き、問い合わせて頂いたところ、

恵照山浄福寺では、塩辛納豆をお造りになっていないことが分かり

ました。

また、わらべっちさんからは、「じょうふくじ」でも同音のお寺が

1.称福寺(上京区千本今出川西五辻寺之内上がる西五辻北町)

2.勝福寺(上京区中立売日暮通東入新白水丸町)

3.昌福寺(上京区下立売日暮通上がる分銅町

4.勝福寺(下京区高倉五条下る若松町)

の4つあり、ここらへんも調査してみる価値があるのではないか、

というご意見を頂きました。

だいたいの予想としては、茨城県内では地獄納豆などの伝統的な

「糸引き納豆」の造り方が伝わっておりますので、納豆汁などには

「糸引き納豆」、京都からくる納豆、黒豆を使った納豆は「塩辛納豆」

で、黄門様は豊かな納豆生活を送っておられた、と考えております。

一応ここまではまとめてましたが、今後、さらに深く調査していき

たいと思います。

*「糸引き納豆」「塩辛納豆」については、こちらをご参照下さい。


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