最終更新日 平成13年7月27日
平成13年7月1日、納豆バンジー終了後、群馬県下仁田町にあります、下仁田納豆さんの工場を見学させて頂きました。参加者は、納豆バンジーと同じく、Takemaさん、おしんこどんさん、アメリカ人のダニーさん、竹中さん、遠藤さん、三井田の計6名。南都社長へのご挨拶もそこそこに、南都社長の奥様から工場全体のご説明をお聞きしながら、ガラス越しに工場を見ます。
今回参加された皆さん全員が、納豆工場は初めてということで、おもちゃのショーウィンドウを覗く子供のように、目を輝かせていらっしゃいます。いよいよ白衣、長靴、頭にネットかぶって、工場内部の見学に入ります。工場に入る際には、粘着テープ(通称:コロコロ)で体についているホコリをとり、アルコール消毒液を手につけ、消毒液のプールを長靴でジャバジャバと横切って入ります。アルコール消毒液が噴出しないと工場のドアが開かないインターロックが組まれており、衛生面への配慮を感じます。納豆製造の工程は、1.選 別 大きさの異なるもの、割れたものなどを選別し、均一な大豆にします。
2.洗 穀 大豆を水洗いします。
3.研 磨 大豆を磨きます。コストと時間がかかるため、行わないメーカもあります。4.浸 漬 水に一昼夜漬け、大豆に水を含ませます。浸ける時間は通常冬期で20時間前後、夏期の気温の高い時で、7〜8時間程度。また、大豆の皮や、質の良くない豆は水に浮くため、ここで取ります。5.蒸 煮 圧力釜で加熱します。6.植 菌 大豆が熱いうちに納豆菌をまんべんなく植付けます。7.盛込み 納豆菌を付けた煮豆を容器に盛りこみます。8.発 酵 湿度60%〜90%、温度38℃〜46℃程度の範囲で、15時間から24時間発酵させます。9.冷 蔵 発酵が完了した納豆を冷却することによって、過発酵を抑えると同時に熟成させます。10.包 装 商品名等が記載されたラベル等をつけます。11.出 荷となりますが、下仁田納豆さんの特徴としては、「5.蒸煮」のゆっくり煮るということもありますが、【南都と言っても】もとい、なんといっても「8.発酵」で使用するご自慢の室です。
オール木造で造られた室は、電気で加熱するのではなく、その中央に置かれた七輪の炭火のみでじっくり加熱され、断熱材である「もみがら」がしっかりと保温します。湿分は、七輪の上に置かれたヤカンからの湯気で供給するという、懐かしいスタイルです。この懐かしいスタイルが実は非常に重要で、ヤカンの口を決まった方向に向けてセットすることで、強制循環のラインができ、室の温度が均一化するというメリットがあります。「南都さん、さすがですね〜」「いやぁ、オヤジが考えたんですけどねぇ」・・・・正直な方でございます。また、下仁田納豆さんは、納豆の容器に経木を使用しているので、それもうまく作用し、発酵の具合も宜しいようです。工場をでて、南都社長からお話を聞こうとテーブルにつこうとしたとき、意外な事が分かりました・・・・アメリカ人のダニーさん、納豆を食べたことがないそうです。「ようし、南都さん、やりますか?」「やりましょう!」となぜか盛り上がり、大袖振納豆を持ってきて、まずはダニーさんに匂いを嗅いでもらいます。
「どうイヤな匂いはないでしょ」「ウーン、ナイネ」「じゃあ、食べてみましょう!ねっ、ねっ」とやたらハイテンションの南都社長。
「チーズみたいだと思えばいいから!」多少、戸惑いながら納豆を口に運ぶダニーさん。モムモムとゆっくり咀嚼いて、しばし瞑想。
・・・・・・・13秒経過。「ウン、タベラレルカモ」いきなりガツガツと食べてもらえるまではいきませんでしたが、一応納豆を食べてもらうことができました。ダニーさん、初めて食べた納豆で感動したのか、お買い上げでございます。初めて食べた納豆と初めて買った納豆が下仁田納豆ということになりました。
他の参加者にも一通り試食して頂いた後は、南都社長(38歳)の納豆との出会いについてお話を聞きます。
*この後にお聞きした下仁田納豆さんの納豆に対する出会いのお話が、
取材を行わず、あるサイトのインタビューをそのまま流用したもので
あり、同じお話になっているとのクレームを頂きました。当日はメモ
を詳細にとり、社長がお話になったセリフ、データ等を出来る限り再
現しましたが、文章の盗用疑惑をもたれたことにより、以下に取材時
のメモ書きのみを列挙することとしました。下仁田納豆さんにはご迷
惑をおかけしますが、取材をきちんと行ったこと、お話の順序、セリ
フ等を記録した事等を証明させて頂くために、このような形態をとら
せて頂きました。関係者の皆様にはご迷惑をお掛けしますが、ご理解
のほどをお願いいたします。
始めた時期60の父が納豆屋をやめる → 帰省した際に話を聞く →30まで都内でサラリーマン「どうせツブれるんなら、オレがやってツブしても一緒」反応「もったいない」←サラリーマン生活が給料もいい。「転職」←納豆以外始めるにあたって父「とりあえず、やるだけやってみろ! 仕事のことに関しては一切言わない」当初下仁田人口 1万1千人従来通り、引き売り→小売り、小さなスーパしかないがそれもダメタウンページを片手に電話でアタック→2/50↓同業者にノウハウを聞く ← 「やめた方がいい」(同業者)↓飛び込んだ先1丁500円の豆腐が売れる、S豆腐店「若い貴重な人材」と大歓迎自分の納豆を説明「大手メーカーが100円で販売するなら、自分は90円で売るつもりです。低価格でコストをおさえるためには、材料の品質も落としている。」↓(怒られる)「うちの豆腐は1丁500円でも、売れて儲かっているんだ。それだけの価値があれば、お客さんは買ってくださるんだ。」↓高い豆腐で使う大豆をススメられる。「うちの大豆で納豆を作ってみなさい、売ってあげるから!」」↓売れた・・・販売ルートを小売店→一流デパート↑実はS豆腐店の根回しありお礼お礼の挨拶にいく。S主人談・・昔に師匠に助てもらう。その話。「これから先、若くて困っている人が現れたら、同じように助けてあげること、それが自分への恩返しでもある」↓(師匠の教え)「今回のことは師匠への恩返しであり、これから先に同じように若くて困っている人が現れたら、今度は君が助けてあげてほしい」
掲載当初の文章
30歳まで東京都内でサラリーマンのお仕事をしていた南都社長が、平成5年に御実家に帰省した際、昭和37年に創業した納豆屋さんをお父様(60歳)がおやめになるというお話を聞いて、
「どうせツブれるんなら、オレがやってツブしても一緒」との思いで一念発起。周りの方が、「(サラリーマン生活が)もったいない」「(納豆以外に)転職した方がいい」と言うなか、お父様が「とりあえず、やるだけやってみろ!仕事のことに関しては一切言わない」とのご助言のもと、納豆屋さんになったそうです。納豆屋さんになってからは、まずは従来通りに、下仁田に住む1万1千人に対しての引き売り(歩き回って売る方式)を行ったそうですが全然売れず、小さなスーパーや小売店でも全然売れなかったそうです。さらには、タウンページを片手に手当たり次第電話をかけても、50軒のうち2軒。このままではイケナイ!と思った南都社長は、商売のノウハウを何故か同業者に聞いてまわったそうで、ここがちょっと変わっているところでしょうか。色々とお話を聞いたものの「やめた方がいい」との否定的な意見が多く、ヘコんでいた南都社長が飛び込んだ先での出会い・・・・・1丁500円の豆腐が売れているというS豆腐店のご主人との出会いが南都社長を変えたそうです。若い貴重な人材だからと歓迎を受け、ご自分の納豆のポリシーを「大手メーカーが100円で販売するなら、自分は90円で売るつもりです。低価格でコストをおさえるためには、材料の品質も落としている」と言ったところ、「うちの豆腐は1丁500円でも、売れて儲かっているんだ。それだけの価値があれば、お客さんは買ってくださるんだ。」と一喝。ここで終わるだけではなく、優しいご主人は「うちの大豆(高いいい大豆)で納豆を作ってみなさい、売ってあげるから!」」とおっしゃり、その通りにしたところ、売り上げ倍増。その後は、販売ルートを小売店から一流デパートに変え、現在の下仁田納豆さんになったそうです。実は一流デパートに変える際にもS豆腐店のご主人のアドバイスがあり、なおかつデパートへの根回しをしてくれたとのことで、「人と人とのつながりのおかげ」だと感謝を忘れない南都社長。S豆腐店のご主人にお礼のご挨拶に伺った際には、こんな事を言われたそうです。S豆腐店のご主人が、その昔師匠に助けてもらったところ、「これから先、若くて困っている人が現れたら、同じように助けてあげること、それが自分への恩返しでもある」と言われたそうで、今回、南都社長を助けたのもその師匠の教えであり、「今回のことは師匠への恩返しであり、これから先に同じように若くて困っている人が現れたら、今度は君が助けてあげてほしい」と言われたそうです。素晴らしい出会いでございます。参加された皆さんからも良いお話が聞けたとの声がありました。人のつながりで出来たと言っても過言ではない下仁田納豆さん。三角の経木納豆にパンティをはかせて、下ネタ納豆でも作ろうかなとやましい考えをしていた自分を情けなく思いつつ、群馬県下仁田を後にしました。対応して頂いた南都社長、奥様、そして参加された皆様ありがとうございました。