坂本龍馬を追って、桂浜で納豆

最終更新日 平成14年4月5日

 幕末期の志士、坂本龍馬といえば、薩長を連合し、大政奉還まで
の流れを導いた豪快な男。
 そんな男になってみたい、と願う私は、平成12年3月12日、
京都東山区の護国神社にある坂本龍馬のお墓に行ってみました。
 1867年、京都近江屋で暗殺された坂本龍馬。
 同志である中岡慎太郎とともに、銅像が立っています。

 お墓には、瑞々しいお花が飾られ、現代人にも龍馬の熱い魂が
生き続けていることが分かります。

 「うぉぉ〜燃えてきたー!」
 
と納豆食の普及にかける熱い気持ちが湧き上がってきました。
 しかし、坂本龍馬の燃えるシーンといえば、故郷・土佐の桂浜で
海から上がってくる朝日を見ながら、
 
 「日本の夜明けは近いぜよー」
 
というイメージがあります。
 これはもう、熱い気持ちがあるうちに桂浜に行くしかありません。
 ということで、高知に向かって移動しました。
 
 ちなみに、護国神社には東京裁判で「全員無罪」を主張した
インド人国際法学者のパール博士の碑もあります。
 戦勝国の圧力に屈することなく、国際法をてらして冷静に判断
したその精神、頭が下がります。
 
 平成12年3月18日、朝4時、高知県高知市は桂浜にやって
きました。
 京都から高知までやってきて、『土佐日記』 状態ですが、
私の場合はほとんどギャグですので、
 
 「逆もまた真なり」
 
であり、
 
 「ギャグもまた真なり」
 
でございます。
 
 日本海とは違った優しい波音を聞きながら、日の出を待ちます。
 5時30分、おっと、そろそろ朝日があがってきそうです。
 バッグから納豆、コンビニで買ったご飯を取り出し、納豆ご飯
を作成。
 
 あっ、朝日です。

 朝日に納豆をかざし、「日本の夜明けは近いぜよー」ならぬ、

 「日本の納豆はうまいぜよー」
 
 そして、美しい桂浜の朝に響く納豆ご飯を食べる音。

 こんなことで、坂本龍馬のような大人物になれないことを食べ
終わってから気づいた三井田でした。


「おまん、ぼっこうなことしちゃいかんき」
土佐弁の使い方、間違っておりましたら、ご指摘いただければ幸いです。


坂本龍馬生誕地は高知市内にあります。

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