松陰神社で納豆を食べる!
(29歳の旅 その2)

最終更新日 平成13年7月8日


 この世に生を受け、あっという間の二十代後半(28歳)。
 ふと我が人生を振り返ってみますと、アホアホな事ばかりやって
いる自分に気付き、
 
 「このままではダメだ!ダメな人間になってしまう!」
               (もう既にダメ?)
 
と、いまさらながら自分の人生を見直すことにしました。
 人生を見直すにあたっては、やはり偉人の業績にふれ、自分の修
行の足りなさを認識するのが一番でございますから、新渡戸稲造先
生と同じくらいに尊敬する「あのお方」ゆかりの地に行くことにし
ました。
 「あのお方」とは、19歳という若さで独立して教鞭をとり、幕
末、長州に優れた人材を多く輩出したものの、30歳(満29歳)
という若さでこの世を去ったという、まさにヘビーデューティーな
人生をおくられた『吉田松陰』先生です。
 新渡戸稲造先生の『武士道』第16章「武士道は尚生くる乎」
(『新渡戸稲造全集』第1教文館、126ページ)で紹介されてい
る松陰先生の歌
 
 「かくすれば かくなるものと知りながら 
                 やむにやまれぬ大和魂」
 
 *嘉永七年(1854年)、再来航したペリー艦隊に乗り込もう
  と密航をくわだてた松陰先生が逮捕され、江戸送りになる途中
  の高輪泉岳寺前を通り過ぎる際に、赤穂義士と自分の心情を重
  ねて詠った歌です。
 
は、私も好きな歌で「大和魂」を「納豆魂」に置き換えてよく引用
させて頂いております。TVチャンピオン「第1回全国納豆王選手
権」でも使わせていただきました。
 新渡戸稲造先生は、この歌を引用し、次のように述べられています。
 
 「武士道は一の無意識的なる且つ抵抗し難き力として、国民及び
  個人を動かしてきた。新日本の最も輝かしき先駆者の一人たる
  吉田松陰が刑に就くの前夜詠じたる次の歌は、日本民族の偽ら
  ざる告白であつた。
  (引用)
  形式をこそ備へざれ、武士道は我が国の活動精神であつたし、
  又現にさうである」
 
 江戸伝馬町の獄中で刑死になる前の辞世の句も
 
 「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
 
であり、まさに武士道の体現者、そして大和魂の持ち主であった松
陰先生。
 これは是非、その魂を分けて頂かなくてはなりません。
 
 ということで、平成13年3月18日、山口県は萩市にあります
松陰神社にやってまいりました。
 ここで松陰先生の人生にふれてその魂を分けていただき、さらに
納豆を食べて、人生を見直そうというわけです。
 ・・・・やっぱりダメな人間。
 
 さすがの松陰先生、いまをもってかなりの人気があるようで、松
陰神社駐車場には大型観光バスがところ狭しと並び、客を見込んだ
柑橘類を売るお店、なかには露天商のような方もいらっしゃいます。
 松陰先生の通称が『寅次郎』だったこともあるのでしょうか、露
天商の方も頑張っておられます。
 松陰神社の大きな鳥居をくぐりますと、松陰先生が住まわれてい
た家や、木戸考允、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋が学んだあの松
下村塾が移築されており、松陰先生の足跡をまとめて知ることがで
きます。

 辞世の句
 
 「親思う 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」
 
の歌碑もあり、親孝行の精神がビンビンと伝わってきます。
 松陰先生と高杉晋作が主人公になっている『世に棲む日々』文春
文庫を書いた司馬遼太郎氏は、
 
 「松陰という人は体中、全部が『公』の人で
               『私』のないひとであった」
 
と言っておりますが、家族を思う気持ちがしっかりあったところに
人間としての魅力をさらに感じます。実際に、松陰先生は酒、煙草
はやらず、大いなる志をまっとうするために女性まで断って生涯独身
(チェリーボーイ?)を通したといいますから、同じ独身で煙草は吸
わないとは言え、大酒かっくらって胸の大きな女性をクドこうとする
私などは足元にも及びません・・・・・はずかちぃーでちゅ。
 死の間際にも、「わが死は公のためである」として、処刑の場で
関係者に「ご苦労様です」と挨拶して、静かに笑って亡くなったと
いいますから、なんだか松陰先生の神社で納豆など食べている気持
ちではなくなりました。
 
 本殿を参拝し、田中俊資著『維新の先達 吉田松陰』800円、
辞世の句が書かれた木札 800円を購入して、同じ境内にありま
す「吉田松陰歴史館」に入ることにしました。この歴史館は、松陰
先生の生涯を蝋人形で再現しており、解説も分かりやすくなってお
ります。

 「吉田松陰歴史館」で松陰先生の密度濃い人生を見せつけられ、
自分がいかに人生を無駄に過ごしていることか確認したことで、多
少ブルーになりながら歴史館をでました。
 
 「あっ、そうだ、納豆食べなきゃ・・・」
 
 自分の不甲斐なさに落ち込みつつ、納豆を力弱くかき混ぜ、口に
運び、ため息一つ。

 いつもの事ながら、周りの観光客の方々からは、
 
 「何あの人」
 
といった冷たい視線を浴びせられました。いままでであれば平然と
して食べる私が、今回ばかりは、自分自身への怒りが周りの観光客
の方に転嫁されたのでしょう、威嚇するため「ウォォーッ!」と咆
哮しそうになってしまいました。
 
 ハッ、いかん、いかん。
 
 松陰先生はこう言っておられます。
 
 「言葉つき丁寧にして声低からざれば、
               大気魄は出ずるものにあらず」
 
 口調は穏やかでなければなりません。
 おっと早くも松陰先生の教えが生きてきたようです。
(調子良くなっただけ?)
 
 大きな志をもって、二十代で歴史の表舞台に登場し、その十年後
にはこの世を後にした松陰先生。
 松陰先生の足元には及びませんが、僭越ながら私も、これから人
類が迎えるであろう食料危機問題に対処すべく、納豆、大豆食を世
界に広げるという大きな志を持って生きていこうと、強く心に誓い
ました。
 
 人生に対する情熱を取り戻すことができた松陰神社。
 やる気がなくなったときには、また訪れてみたいと思います。

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