九州・納豆の旅
「長崎の女、別れはアゴ竹とともに」

最終更新日 平成13年6月17日
 平成11年3月26日〜31日まで、以下の日程で九州・納豆
の旅をしました。
 
26日(博多泊) 移動(新潟〜東京〜羽田空港〜福岡空港〜博多)
        夜 屋台にて博多弁学習
27日(博多泊) 第5回試食会
28日(博多泊) 博多市内観光、中州にて人生修行。
29日(博多泊) 太宰府天満宮見学、またも中州にて人生修行。
30日(長崎泊) 熊本城見学、九州大豆食品工場見学、長崎飲み屋調査
31日      長崎観光
        移動(長崎〜博多〜福岡空港〜羽田空港〜東京〜新潟)
 
*各報告とリンクしています。

26日 博多の屋台をハシゴしました。 明太イワシ、ヤ
マイモ焼き、モツ焼き、そしてラーメン(替え玉2回)
と、納豆家攻略事前トレーニング?を行いました。
 また、屋台のオヤジさんや隣で飲んでいた管理職風の
ちょっと年輪を感じさせるお姉さんから、博多弁のご指
導を受けることもでき、博多の夜を満喫しました。
 
27日 納豆料理専門店「納豆家」にて第5回試食会
 
28日 博多の主要なスーパーをまわり色々な納豆を見つ
けました。あのタカノフーズ社の「おかめ納豆」は「タ
レつき」とは表記されておらず、「うまかたれ付き」と書
いてありましたし、元気納豆「あまかたれ付き」なんて
ものもありました。
 また、ネーミングで気にいったのが、くき食品さんの
「黒豆もっこす」です。
 変わり納豆としては、サンドイッチ用の納豆・お城納
豆「パパンがパン」(マヨネーズ味とてりやき味)があり
ました。
 これだから各地方での納豆探しはたまりません。
 よく「おっとっと」や「ポッキー」などのお菓子に地域
限定があってお土産として人気がありますが、納豆も同じ
ように地域限定商品としての価値が上がってほしいところ
です。明太子味のおっとっと、知とっと?
 夜は、中州にて高い授業料を払って博多弁の練習しまし
た。帰り道、道路脇で酔いつぶれている中間管理職風のオ
トーさんが
 「でらりゃーせん、でらりゃーせーん」
と騒いでいたので、
 「でられっと」
と声をかけると
 「邪魔すんなー」
と騒ぎながら追っかけてきました。
 何だかよく分かりませんが、もう少し博多にいようと思
いました。
 
29日 太宰府天満宮見学。夜は中州にて、またも人生修行。
人生修行をしたお店で自称25歳のNちゃんと知り合いま
した。
 Nちゃんは長崎出身で、長崎で水商売を失敗し、中州で
働いている女性です。中州では、支払いの際、私の財布の
中を覗いて(このとき丁度無かったんです)、
 「そんだけじゃ心配っちゃー」
と1000円札をポケットにねじこみました。
 「いや悪いよ、いいよ、いいよ」
 「いいっちゃ、いいっちゃ、これで、またビールでも飲んじゃりぃ」
 それでは悪いからと、お店が終わるのを待って、博多
の大きなショッピングモール・キャナルシティ前で待ち
合わせ、「一龍」という屋台で一緒にラーメンを食べまし
た。
 
30日 平成10年度納豆鑑評会で農林水産省大臣賞を受
賞した「元気納豆」のマルキン食品さんにアポがとれた
ので、熊本に行くことにしました。
 博多駅から熊本行き特急「有明」に乗り込むとき、「博多
名物 たかな寿し」(清広食品 092-932-8588)とウーロン茶
を購入。
 電車がゴトンゴトンと動き出し、「でわでわ」とたかな
寿しの竹包みをほどき食べ始めたところ、向かいの席に座っ
ていた3歳ぐらいの子供が、鼻をヒクヒクさせつつジローっ
と私の顔を見つめ、母親にボクも食べたいといった内容で
ゴネはじめました。たかなと酢飯のグッドスメルに食欲を
そそられたようですが、なんかこっちが気まずくなってき
ました。大きな高菜の葉にくるまれた寿しを口に入れて噛
むとボリボリ、その音のたびに子供に凝視されます。気ま
ずい食事・・・・・・。メールを打ちながら、チマチマと
たかな寿しを食べました。私こーいう雰囲気に弱いんです。
 熊本駅に着き、熊本城見学、そして九州大豆食品工場見学
その後、阿蘇山にでも行こうと思っていたのですが、あい
にくの天気のためあきらめて長崎に行くことにしました。
 長崎といえば、しっぽく料理とチャンポン。しかし、しっ
ぽく料理はどのガイドブックを見ても、2人以上でしか頼め
ない、と書いてあります。そこで、Nちゃんに連絡を取り
一緒に食べてもらうことにしました。Nちゃんには、ラー
メンを食べながら、30日から休みで長崎に帰るから、長
崎にきたら声をかけて、と言われていたので、その言葉に
甘えさせてもらった次第です。
 長崎へ向かう途中、乗り換えの鳥栖という駅で「鳥栖名
物 かしわうどん」なるものがあり、しっぽく料理が待っ
ているのに食べてしまいました。
 「かしわ」の正体は牛スジ肉で、トロトロに煮込んだも
のがうどんにのっかてます。これがまたダシの効いたつゆ
とiMac、もとい、あいまってなかなかの組み合わせで
した。
 20時過ぎに長崎駅に着き、とりあえず駅に近いホテル
にチェック・イン。
 21時にホテルのロビーでNちゃんと合流して、いざしっ
ぽく料理へ!
 しかし、周辺のしっぽく料理屋はすべて満席、もしくは
今からはできないとのこと。しっぽく、失敗。
 「また来たときに食べればいいっちゃ」
と慰められ、一緒にビールを飲みながら「海鮮チャンポン」。
 ビールで勢いがつきたところで、「雲龍」という一口ギ
ョウザのお店に行き、ギョウザ、ニラと豚のレバーを卵で
とじた「韮肝」をつまみにまたもビール。
 Nちゃんは「泡盛」のお湯割を「おいおい」ってぐらい
に飲んで、案の定へべれけ。お仕事柄ストレスがたまって
いるんでしょうか。
 続いて「五島」というお店に行き、馬刺し、鹿刺しの馬
鹿刺しコンビと砂ずり(砂肝)の刺し身を焼酎のお湯割で。
こちらは、さすがに「焼酎!」と注文するのではなく、
「いいちこ」とか「雲海」と銘柄で注文してます。Nちゃ
んは、宮崎の海岸と高千穂にまた行きたい、と何回もくり
返し、座敷で戦艦大和ばりに撃沈。
 しばらくしてから、
 「帰るよ、立てる?」
と声を掛けて起こすと、
 「だいじょー・・・・、
  あ〜髪グシャグシャ。ブスになっちょろー」
と何故かしきりに髪形を気にしてます。女性なんですね。
 「大丈夫、大丈夫。イケてるよ」
と答えると、壁におっかかりながら何とか立ちがりました。
 
「言って聞かせて、やらせてみせて、ほめてやらねば人は動かじ」
                       上杉鷹山
 
 大通りまで何とか連れていき、タクシーに乗せ自宅まで
送ってもらうよう運ちゃんに頼んで、お金を渡しました。
まさか長崎で酔っぱらいの世話をすることになるとは。
 
31日 朝5時に起き、徒歩でホテル周辺の観光をしました。
 まずは「日本二十六聖人殉教地」。ここは日本にキリス
ト教を根付かせようとした外国人6名、日本人20名が処
刑された場所です。現在は26名の銅像が設置してあります。
 豊臣秀吉のキリシタン禁令により、大坂、京都でとらえ
られて、慶長元(1597)年12月19日に長崎のこの地で処
刑されたそうです。このことはヨーロッパ各地にも伝えら
れ、文久二(1862)年にはローマ教皇がこの26人を「日本二
十六聖人」とよんだそうです。
 見学しているうちに何故か作家の故・遠藤周作(弧理庵
先生ものではなく)の小説を思い起こし、宗教の力とはや
はり凄いな、と朝もやの中、宿酔いの頭で考えました。
 
 次は原爆投下中心地点に行きました。マンハッタン計画
に参加した天才科学者オッペンハイマーの本で彼の原爆
投下後の苦悩も知っていましたし、もちろん被爆者のお
話も何冊かの本で読んでいたので、戦争の悲惨さを痛切
に感じました。宿酔いで見学した自分が恥ずかしいくら
いです。
 そしてお約束の平和公園で平和記念像を見ました。こ
の公園のまわりは爆風で上がなくなった壁で囲まれてい
ます。元は刑務所があった場所だそうです。
 公園を一周したところで「そろそろ駅に行こうかな」
とタクシーをひろいました。タクシーの運ちゃんは老齢
の気さくな方で、どっから来たかとか天気について話か
けてきました。
 「長崎ってこんなに寒いんですか?」
(本当に寒かったんです)
 「いや、アンタ、悪いときに来たっちゃ。
  んーじぇんなんか雪降っとる、雪」
(三井田の思考:えっ、「んーじぇん」って何だ?
       検索開始・・・・該当単語なし。
      じゃあシソーラス・あいまい検索開始
    ・・・んーじぇん、ぅんーじぇん、
     ハッ、分かった!雲仙だ)
 話しているうちに、一人で来たんだったら記念撮影は
どうした?と言われ、撮ってない事を告げるとUターン
して平和公園に戻ってくれました。デジカメを渡して、
恥ずかしながら平和記念像の前で記念撮影。
 「これ、なーんも音ばしちょらんけど」
 「あっ、それデジタルカメラなんです」
 「・・・何だかよーわからんけど、撮れちょるぅ?」
 「大丈夫ですよ、ほら」
 デジカメでいい気になってしまいました。スイマセン。
 この旅唯一の自分が写った写真
 再度、駅に向かう途中に原爆病院がありました。
 「おいどんも原爆手帳持っとるし、病院はじぇーんぶ
  タダ。」
 初めて生で聞く「おいどん」、いやぁ感激しました。
しかし、ここから先の話をよく聞いたらそんな感激は吹っ
飛びました。
 運ちゃんは原爆投下地点から5kmに実家があって、
小さい頃に被爆されたそうです。あまり気にはならな
かったのですが、左目の上のただれた部分がその跡だ
そうです(運転中に後ろ向くのはやめてほしかった)。
 駅に着き、料金は2510円だったのですが、お話を
聞けたので3000円渡しました。
 チャンポン、しっぽく料理、中華街、洋風建築、そん
な観光にも期待して長崎に来たのですが、それらが
なくとも十分充実した観光ができました。タクシーの
運ちゃんとのめぐり合わせにも感謝です。これも日本
二十六聖人のお陰でしょうか。
 8時発の博多行き特急(指定)まで駅構内でお土産
ものを見ていました。すると、いきなり後ろからヒザ・
カックン。ふりかえるとNちゃんでした。
 帰りの時間を覚えててくれて、見送りに来てくれたそ
うです。さすが、長崎の女(ひと)情が深い、ありがた
いことです。ちなみに、私は宿酔いでウサギの目(目が
赤く酔ってる)になっているのに対し、彼女はケロッと
してました。長崎の女はおそろしか。
 私が宿酔いなのを伝えると
 「迎え酒」
と言ってアサヒスーパードライ350ml缶とアゴ竹(あ
ごちく)を買ってくれました。アゴとはトビウオのこ
とで、そのチクワがアゴ竹です。
 改札に入り、Nちゃん手を振ろうと思ったのですが、
両手の荷物が邪魔になってなかなか手を振れません。
結局、ビールとアゴ竹が入った袋を持った手で、
 「今度は宮崎に行ってアソボーね」
と手を振りました。確実には果たせない約束に心が痛
みます。
 電車が動きだしてから、振ったため激しく泡を吹き
出したビールを飲み、男性にとっては微妙な大きさと
硬さであるアゴ竹をほおばりました。
 長崎から離れつつある電車。昔見た武田鉄矢の映画
『刑事物語』のエンディングを思い起こします。確か
歌は吉田拓郎でした。
 
 「ええ加減なやつじゃけん、ほっといてくれんさぁい
  アンタと一緒に泣きとうはありません。
  (途中の歌詞は忘れました)
  人がおるぅーよねぇー、人がそこにーおるぅーよねぇー」
 
 アゴ竹の袋は長崎の思い出の品となり、アゴ竹の味は
忘れられない長崎の味になりました。

アゴ竹の袋と履きつぶした靴(ワラビー)
 お世話になった納豆学会会員の皆さん、そして会員以外
の九州の方、本当にありがとうございました。
 
*支 出  約18万円(うち6割が飲食・交際費)
 収 入  体重3kg
 読んだ本 『るるぶ'99 九州』JTB
      『るるぶ'99 博多』JTB
      『アマニタ・パンセリナ』中島らも、集英社文庫
      『司馬遼太郎が語る日本』朝日新聞社
      『土佐日記』紀貫之、岩波文庫
 同行者? 日立「PERSONA」WindowsCE 2.0
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