「納豆発祥の地」石碑


最終更新日 平成13年6月17日
 

 平成12年7月10日、私の力不足で納豆学会としてのイベントを
起こせず、個人的に「納豆発祥の地」石碑のある秋田県横手市に行っ
てまいりました。 
 台風のさなか移動し、新潟からの8時間ノンストップ・ドライブ。 
 横手市についたところで、横手駅前温泉ゆうゆうプラザ(電話  
0182-32-7777、入浴700円17時〜は480円)で、身を清めて? 
金沢柵址である金沢公園に向かいました。 
 横手駅から車で約20分で、「納豆発祥の地」石碑に到着。 
 思ったよりは、小ぶりな石碑に「え?こ、これ?」という若干の 
脱力感が・・・・。



 石碑は、納豆の由来がこう書かれていました。 


  
  由来 
  
  金沢の柵を含む横手盆地一帯を戦場とした 
  後三年の役(1083−1087)は 八幡太郎源義家 
  と清原家衡 武衡との戦いで 歴史に残る壮絶なものであった 
  この戦いの折り 農民に煮豆を俵に詰めて供出させた所 数日 
  をへて 香を放ち 糸を引くようになった 
  これに驚き食べてみたところ 意外においしかったので食用とした 
  農民もこれを知り 自らも作り 後世に伝えたという 
  
                       (原文ママ)パパ? 
  
 石碑の裏を見ますと、「後三年の役900年祭」でヤマダフーズ 
さんが設置したと書かれています。 
 この「後三年の役900年祭」はかなり大きなイベントだったよう 
で、同じく金沢公園内にある八幡神社には、その時使用したであろう 
大きな看板がありました。 

 看板自体は、雨風に打たれて相当悲惨な状態になっていたので、 
ここで一句? 
  
   「夏草や 一発イベント 夢のあと」 
  
 「納豆発祥の地」石碑まいりを終え、隣接された「後三年の役」 
資料館に行き、職員の方と色々なお話をさせてもらいました。 
 この職員のおじさんがなかなか教養のある方で、奥州文化圏のお話
から蝦夷の話までかなりの幅で内容の濃い歴史対談を行うことができ
ました。
 対談しての結論は、「やっぱり八幡太郎源義家は余計マン」でした。 
 しかしながら、この職員のおじさんの訛りが激しく、たまにリスニ
ングに失敗し、 
  
 「×○☆※・・だなぁ〜、そんで清原氏もぉ〜・・・○☆※」 
 「は、はい、そ〜ですよねぇ〜え〜・・・・・Pardon?」 
  
という場面があったものの、実に味のある濃い時間を過ごすことが 
でき、「納豆の日」記念にふさわしい個人イベントとなりました。 
  
*金沢柵は前九年の役頃までは、清原武則の居城で、後三年の役に 
 おいては、清原家衡、武衡が沼の柵から移って籠城したため源義 
 家がこれを包囲して兵糧攻めにし、陥落した古城址です。 

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