トマホークさんの報告
「ヤマダフーズ茨城工場見学」

最終更新日 平成13年8月26日

<株式会社ヤマダフーズ 茨城工場見学のご報告>
 
 三井田さんからの報告は別途あると思いますが,簡単にまとめてみました
のでご紹介します。
*三井田の報告はこちら
・と き:2001年 8月18日(土) 13:30〜15:30
・ところ:株式会社ヤマダフーズ 茨城工場(茨城県牛久市)
・ご案内:株式会社ヤマダフーズ 茨木工場 事業開発室 伊藤氏
・参加者:納豆学会 三井田 孝欧氏
     その他  4名
     報告者  トマホーク本人
           妻,息子(小学校1年),娘(幼稚園年少)
 
<納豆学会三井田さんよりご挨拶>
 納豆学会が,小学生からの自由研究課題(報告者補足:私の息子であるが,
納豆ラベルを収集し,毎日数種類の納豆を食べ,三井田さんを崇拝する小学
校1年生である)として納豆を取り上げたい旨,相談を受けたため,子供の
好奇心を大切にしたいと考え,御社にご相談申し上げた。お盆休みの時期
であり,ご迷惑をおかけしたが,貴重な機会を与えていただき感謝している。
とのお礼のご挨拶を行い,本題に入るため,ご案内をお願いするヤマダフーズ
の伊藤氏へバトンを預ける。
 
<ヤマダフーズ伊藤氏よりご挨拶>
 本日は,納豆学会の三井田さまのご紹介による小学生の自由研究の一環と
してトマホークさまご家族他みなさまにお出でいただきありがとうございます。
時期の問題があり,工場はフル稼働はしておりませんが,ひととおりご覧頂け
ます。と,休日出社にも関わらず笑顔を絶やさず,営業と広報のプロの片鱗を
のぞかせつつ滑らかに説明を開始する。
 
<納豆の起源>
 納豆の起源は八幡太郎義家の時代に遡り,兵隊の食料として大豆の煮豆を
藁に包み馬の背中に背負わせ戦地に赴いたところ,豆が粘りと匂いを生じ,
美味だったことに由来する。懸命な読者は後三年の役はご存知だろう。
 
<ヤマダフーズの概要>
 ヤマダフーズについては,秋田に本社があり,関東ではあまり知られては
いない。以前は輸送に時間がかかり,秋田工場から関東へ輸送すると12時間
を要したため,鮮度が維持できず関東での販売ができなかった。1966年に
茨城県牛久市に工場を建設し,本格的に関東への進出をはかってきた。牛久
工場では,日産1パック50gの納豆を60万個生産する能力がある。これは,
国内でもトップクラスである。ヤマダフーズ全体としては,日産120万個を
生産できる。茨城工場の特徴は,原料から生産出荷までを直線で結んだ167
mのストレイトラインによる製造工程である。工場は3階建てで,3階から
製造ラインが2階,1階へと移動する。1階がストレイトラインである。
工場の外観はベルサイユ宮殿をまねて作ってあり,社長の開放的な人柄もあり,
構内を近所の方が自由に散歩できるような設計になっている。
 
 1966年の竣工と言うことでバブル時代の名残りの印象が強い。会社案内を
見てみると見学スペースに大きなミロのビーナスも設置してある。ちなみに
納豆学会のHPでも紹介されているが,納豆発祥の地はヤマダフーズの本社
がある秋田県である。
 
 本題の大豆だがOCIAの認定を受けているそうで,有機大豆として厳しい
基準をクリアしたものとなっている。OCIAの詳細は,各自調べてほしい。
3年以上,厳しい条件をクリアしてはじめて認定が受けられるものだそうだ。
なお,大豆は,天候不順による出来不出来のリスク回避などの理由から,
世界各地の農場と契約し調達している。遺伝子組換えもなく安心して食べら
れる理由は,こうした努力によって支えられているのだ。
 
<番外:工場のお手洗い>
 一旦,トイレ休憩になったが,このトイレがただものではない。何と
水道水で手を洗った後,殺菌作用のある乾燥機が5秒以上作動しないと入口
の扉が開かないようになっているのだ。トイレから出てくるためには,確実
に手を洗い,乾燥機で手を殺菌しなければならないということになる。過去
に見たことのないインターロックの仕組みだった。参加者からも珍しがられ,
結局,全員で見学した。
 
<納豆容器に関する疑問>
 一部の参加者から,納豆容器に関する質問が行われた。「納豆のふたの扱
いは,そのままでは扱いにくい印象である。何か良い方法はないのか。」これ
に対して,納豆学会三井田氏よりコメント。容器は各社工夫しており,ミシン
目を入れ,ふたがはずせるものもある。
 これを受けて,伊藤氏よりふたをはずせるようにしているものと,そうで
ないものがある。環境問題もあり,リサイクルも含め社として真剣に対応を
検討している段階である旨,ご回答をいただいた。個人的には,納豆の容器
の発泡スチロールは何とかならないかと感じているが,現時点では難しいよ
うだ。
 
<普通の納豆とひきわり納豆>
 ひきわり納豆については,普通の納豆と工程は同じだが,あらかじめ裁断
し,それから納豆としての加工が行われるそうである。納豆菌をまぶした後
は表面積が大きいこともあり,加工の進捗は早めになる。これは当然である
が,調整がむずかしそうである。なぜ,加工前に裁断するかと言う理由だが,
納豆になったものを裁断すると,思いどおりの形に切断できないためだ。
納豆に関する知識のない私でも容易に想像できる回答だったが,話を聞くま
では,納豆を切断してひきわりを作ると思っていた。
 納豆菌も種類があるそうで,ヤマダフーズでは独自の納豆菌を使っている
そうだ。
 
<会社案内のビデオ>
 概要を伺った後,会社案内の部数が少なかったため,納豆学会の三井田さ
んと本日のトリガーを作った息子のみが頂戴し,概要説明のVTRを見せて
もらう。所要時間は15分程度。白亜の殿堂のような茨城工場が印象深い。
 
<工場見学>
 既に概要は伊藤氏の説明とビデオで理解できているので,実際の工程を
機械装置の動きを確認しながら現場に赴く。待ちに待った実際の製造工程の
見学である。既に小学生の息子の自由研究は頭から離れつつあり,自分が
童心に返ったように真剣に見入ってしまった。3階で原料の大豆の検査工程
が行われ,階を経て茹でそして納豆菌をかけるところまでを見学する。すべ
てのラインが自動化されており,最終工程の納豆をパック詰する部分もパッ
ク数をフレキシブルに変えられるようになっている。現状では,5パックま
では対応できるそうである。これは主婦感覚がないと理解できないことだが,
納豆は通常50g入りを3パックで包装して販売している。キャンペーンを
うったりすると増分の1パック構成で販売することがあり,これにも対応
できるようになっている。  
 
<番外:納豆の歴史,パッケージなど>
 一連の工場見学を終えると納豆の歴史を理解するための展示スペースが
あり,納豆容器に見る歴史が理解できるようになっていた。以前は経木を
使った三角形のパッケージも使われており,今のような小さなパックでは
なく,大きな容器に入っていた。これを各家庭では取り分けて食べていた
との説明を受けた。なるほど,昔の家庭の姿がよみがえってきた。今は個食
の時代と言われ,納豆も小さなパック以外はほとんど見かけなくなっている。
納豆の歴史を聞いて,日本の家庭の変遷を垣間見た気がする。
 
<景気と納豆>
 幸いなことにバブル崩壊後の現時点においても納豆の生産量は落ちるこ
とはないそうだ。ただ,ご存知のとおり単価が安く,スーパーのバーゲン
の目玉になるので,出荷量の割には利益が上がりにくいのも実態のようだ。
 
<記念撮影とおみやげ>
 お決まりだが,ご案内役の伊藤氏を囲んで記念撮影し,すばらしい工場
を後にした。おみやげにひきわり納豆と徳川慶喜の水戸納豆を頂戴した。
帰宅後,すぐに食したのは言うまでもないが,水戸だけに梅果肉入りで
これが何とも珍しい味で,酸っぱさも納豆と微妙にマッチする気がして
不思議である。個人的には,はまりそうである。
 
<謝辞>
 以上で報告は終わりますが,今回貴重な機会を設定してくれた納豆学会
主宰の三井田孝欧氏ならびにお忙しい中,見学対応をしていただいた株式
会社ヤマダフーズ事業開発室伊藤様には,たいへんお世話になりました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。
 
<ご参考>
株式会社ヤマダフーズホームページ
http://www.yamadafoods.co.jp
 
 以上です。

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